「急なお越しで」と、紀伊の守は困ったように申しますが、誰も気にとめません。 寝殿の東表の部屋を空けさせて、仮の御座が用意されていました。 引きこまれた遣り水など、風情のある造りになっています。 田舎家めいた柴垣などめぐらせて、庭木なども工夫をこらして植えられています。 風は涼しく、どこからともなく虫の声なども聞こえ、蛍がたくさん飛び交い、なかなか情趣深いものでございました。 お供の者たちは渡殿の下から流れ出る泉水を見下ろしながら酒を酌み交わしはじめました。 邸の主人(紀伊の守)も何か肴を探そうと、いそいそと走りまわってのる間に、源氏の君はこの邸の様子をのんびりお眺めになって、あの雨の夜の話に出てきた中流の家というのは、このようなところなのだろうなと、思い出してしらっしゃいました。
伊予の介の妻というのは、入内も望んでいたという噂をかねてから聞いていた娘でしたから、興味を惹かれて耳を澄ましていらっしゃいますと、西の方の部屋に人の気配がいたします。 衣擦れの音がさらさらとして、若い女の声も悪くなく、さすがにこちらを憚ってひそひそと小声で話し笑い合う様子は、取り繕ったような気がいたします。 格子は上げてあったのですが、紀伊の守が「気がきかない」と小言を言って下ろしてしまいましたので、燈火の光が衝立障子の上から漏れてくるばかりでした。 源氏の君はそっと障子に近づいて、「見えるだろうか」とお思いになるのですが、隙間もありませんでしたから、しばらく聞き耳をたてていらっしゃいますと、女たちはここに近い母屋に集まっている様子です。 ひそひそとささやき合っている話をお聞きになっていらっしゃいますと、どうやら御自分の噂話のようでした。
「それはもうたいそう真面目そうな御方で。 まだお若いのにもう北の方もいらっしゃって、さぞかしつまらないことでしょうね」
「でも、人目につかないところで隠れ歩きなさっているのでしょう」
などと言っているのを聞いていらっしゃると、常に物思いばかりが心からお離れにならないので、どきりとなさって、「このような時にも、あの御方との秘密を誰かが噂にでもしたら」と、恐ろしくお思いなさるのでした。
女たちの噂話はそれ以上のことはなかったので、聞くのをおやめになりました。 式部卿の宮の姫君に、朝顔の花を差し上げて贈られた歌のことなどを、少し句を変えて話しているのも聞こえてきます。 「なんと気楽に他人の歌を口にするものだなあ。 これではこの者たちの女主人というのも、逢ってみたら見劣りしてしまうだろう」とお思いになるのでした。
紀伊の守が出てきて、灯籠を賭け添え、燈火を明るく掻きたてて、御菓子だけを差し上げます。 源氏の君が、
「とばり帳の用意はどうかな(とばり帳もいかにぞは)。 そちらの方にも配慮がなければ、面白くないもてなしだね」とおっしゃいますと、紀伊の守は、
「何がよろしいでしょうか。 承らずにはご用意もできません。 不調法者で」
と、かしこまって控えております。 :源氏の君が端近の御座所で、うたた寝のようにお寝みになられたので、お供の者もみな静かになりました。
紀伊の守の子供たちが、可愛らしい童姿をしていました。 殿上童として顔を見慣れている者もいます。 その中に伊予の介
の子供もいます。 大勢の子供たちの中に、特に品の良い十二、三歳くらいの者がおります。「どれが誰の子」などと源氏の君がお尋ねになりましたので、
「この子は亡くなった衛門督の末の子でございまして、たいそう可愛がられておりましたが、幼い時に父親をなくしましたので、姉にあたる者の縁で、こちらに引き取りました。 学問なども出来そうで、悪くはございませんので、殿上なども望んでおりますが、しっかりした後見もございませんので、なかなか殿上童のお仲間入りをさせていただけないのでございます」
と、紀伊の守が申し上げました。
「それは気の毒なことだね。 この子の姉君というのが、お前の継母なのか」
とのお尋ねに、
「さようでございます」
と申し上げましたので、
「不釣り合いな母親を持ったものだね。 その女人のことは帝もお聞きになっていらっしゃって、『宮仕えに差し出したいと申していたが、あれからどうなったんだろうか』と、いつぞやも仰せになっていた。 縁というものはわからないものだね」
と、源氏の君はたいそう大人びた口調でおっしゃるのでした。
「思いがけずこのようなことになりました。 縁と申しますものは、このように今も昔もわからないものでございますね。 中でも女の運命は浮き草のように当てになりませんのき哀しいことでございます」
などと、紀伊の守もお答え申し上げました。
「伊予の介は大切にしているのか。 主君と思ってお仕えしているのだろうね」
「それはもう。 自分一人の主君と思っておりますようで、年甲斐もなく夢中になってと、私はもとよりみな承服しかねております」
と申します。
「かといって、お前たちのような似合いの若い者に下げ渡したりするものか。 伊予の介はたいそうな風流者で色気もあるからね」
などとおっしゃって、「その女はどこにいるの」とお尋ねになります。
「みな下屋に下がらせましたが、まだ下がりきれずに残っている者もいるかもしれません」
と申します。 お供の者たちはみな、酔いがまわったようで、簀子縁に横になり、あたりは静まっておりました。
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