新釈・源氏物語

 
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帚 木 〈九〉
「だいたい男でも女でも、教養のない者に限って、わずかな知識をすべてひけらかそうとするのは、たいそう見苦しいものです。 三史五経などの本格的な学問を究めつくそうとするなど、可愛げがなさすぎますが、女だからといって、世の中の公私のことについて、まったく知らないでいることが出来ましょうか。 わざわざ勉強しなくても、ちょっと頭が働く女なら、耳に聞くこと目にとまることも自然に多くあることでしょう。 そうなってくると漢字を走り書きなどして、そんなことをしなくても良さそうな女同士の手紙のやりとりに、半分以上も漢字でうめつくすようなのは、なんとも嫌なことで、この人ももう少し女らしくすれば良いのにと思われます。 書いた本人はそんな気はしないのでしょうが、それを読む声も自然にごつごつした声になるようで聞き苦しいですね。 こんなことは下々の者ばかりかと思ったら、ご身分の高い方のなかにもよくあることなのですね。 歌を詠むのを得意としている人が、歌にとらわれて、面白い故事などを初句から取り入れたりして、こちらの気分もおかまいなしで詠みかけてくるなど困ったことです。 そんな時でも返歌をしなければならないし、返歌の出来ない人はみっともない思いをするでしょう。 たとえば節句の時など、五月の端午節会に急いで参内しようとしている朝、あやめのことなど考える余裕もないのに、あやめの根を縁語にし詠んでよこしたり、 九月の重陽の宴に、漢詩の趣向をあれこれ思いめぐらせて、他のことなど考える余裕もない時に、菊の露に縁を持たせて詠んでよこしたりなど、わざわざそんな忙しい時にそんなことをしなくても、後でゆっくりと考えれば、面白く情趣も感じられるものを、時をわきまえないばかりに、目にもとまらないということも考えもせず詠みかけてくるのは、却って心が劣っているように見えます。
 何事につけても、どうして、そんなことは、と気を働かせ、時と場合の分別をつけるということが出来ないような心では、むしろ気取ったり風流人ぶったりしないほうが良いでしょう。 心のうちでは十分に知り尽くしていることでも知らないようなふりをして、言いたいことがせあっても、一つや二つは言わないでいるというのが良いということになるでしょうか」
と、左馬の頭が申しますのをお聞きになりながらも、源氏の君はただお一人の御方(藤壺女御)を心に思い続けられるのでした。 この御方に何ひとつ足りないところはなく、過ぎたところもなく、またとない優れた御方だなあと、恋しく胸が塞がる思いをなさるのでございました。
 話は結論が出るものでもなく、果てしなく続きとうとう語り明かしておしまいになったのでございました。

 やっと物忌みも終わり、今日は天候も良くなりました。 あんなに引き籠もってばかりいらっしゃったので、左大臣はさぞ心配していることだろうとお気の毒に思われ、源氏の君は左大臣邸へ退出なさいました。 ひさしぶりに見る葵の上の様子も、すっきりとして品が良く、乱れたところなどひとつもなく、やはりこういう人こそ、昨夜語り合った者たちが捨てがたい女の例えとした、誠実で頼りになる女だとお思いになるのですが、あまりにも毅然としたお姿で、打ち解け難くとりすましていらっしゃるのが物足りなく思われ、源氏の君が中納言の君や中務などのような人並み以上の若い女房たちに、冗談などおっしゃりながら、暑さのために着くずされたお姿をなさっているのを、みなうっとりと拝見しているのでございました。 そこへ左大臣が出て参りますと、源氏の君がくつろいだお姿でいらっしゃるので、几帳を隔ててお座りになり、何かとお話をなさいますので、源氏の君は「この暑いのに」と嫌な顔をなさったので、女房たちはみな笑いました。 「静かに」と制して、脇息に寄りかかっていらっしゃって、たいそう気楽なご様子でございました。
 陽が落ちて暗くなって参りますと、女房が「今夜は中神が、宮中からこちらの方角に塞がっております」と申し上げました。
「たしかにそうだ。 こちらは避けなければいけない方角だったな。 しかし二条の院も同じ方角だから、どこに方違えしたら良いだろうか。 動くのも面倒なのに」
とおっしゃって寝ておしまいになるのでした。 「なんととんでもないことを」と女房たちは誰彼となく申します。
「紀伊の守として親しくお仕えしている者の、中河あたりにある邸は、近頃廷内に水を引き入れまして、涼しくしております」と女房のひとりが申し上げました。
「それは面白そうだね。 面倒だから牛車のまま入れるところが良い」
とおっしゃいます。 こっそりと忍んで方違えをなさる所はたくさんありそうなのに、ひさしぶりにやって来たのに方角が塞がっているのでよそへ行くというのは、左大臣に気の毒なこととお思いになられたことでしょう。
 紀伊の守<に方違えのことをお伝えになりますと、承知はしたのですが、御前をさがって、
「伊予の守の朝臣の家に忌み事がありまして、女達がこちらに移って来ており、狭いところですから、失礼なことでもあっては」
と、下々の者に溜息をついているのを、源氏の君がお聞きになって、
「そういう人が近くにいるのは嬉しいことだ。 女っ気のない旅寝は寂しいものだから、その几帳のうしろにでも寝かせてくれれば良い」とおっしゃいますので、女房も「ほんとうに。 良いお泊まり所かもしれませんね」などと申しまして使いの者を紀伊の守の邸へ走らせました。 たいそう忍んで、大袈裟にならないようにと急いで出かけられますので、左大臣にもご挨拶はなさらず、お供にも気心の知れた者だけを連れていらっしゃったのでした。
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