新釈・源氏物語

 
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帚 木 〈七〉
 頭の中将が「それでは私は、ある愚か者の話をしましょう」と言って、語り始められました。
「たいそう忍んで通いはじめた女がおりまして、はじめは長く付き合って行くつもりはありませんでしたが、馴れていくうちに可愛い女だと思うようになりまして、この女を頼りに思う気持ちにもなりまして、絶え絶えにではありますが通っていたのです。 そうなると女のほうも私を頼りにしている様子も見えてまいりまして、私の訪れが途絶えがちになるのをさぞ恨めしく思っているだろうと思うこともありましたが、女はそんなことは気にもしていないようで、長い間顔を見せないでいても、冷たい男だと思っている風もなく、朝に夕に、ただ私のために務めてくれておりまして、それが不憫にも思われ、いつまでも頼りにするようにと言ってやることもありました。 親もすでに亡くなり、たいそう心細く暮らしておりましたので、そうまで言ってくれるならこの人をこそと、何かにつけて頼りに思ってくれる様子も可愛く思えたのです。
 このようにおとなしく優しい性格の女でしたから、私もそれを良いことにしばらく訪れないでいた間に、右大臣家の妻のほうから、思いやりのないひどい事を、ある伝から言ってよこしたのを、私はあとになって聞いたのです。 そんな辛いことがあったとも知らず、心のなかでは忘れずにいたものの、長い間消息も知らせずにおりましたら、女はひどく気を落として、心細くなったようで、幼い子もおりましたので、思い悩んだ末に、撫子の花を送ってよこしたのです」
と、涙ぐまれるのでした。
「それで、その手紙の内容は」
源氏の君がお訊ねなさいますと、
「いやまあ、これといったことではありませんでした。

    『山がつの垣ほ荒るともをりをりに
            あはれはかけよなでしこの露

と書いていただけなのですが、思いだして訪れてみますと、例のように何の隔てもないのですが、たいそう物思いに沈んで、荒れた家の露深い庭を眺め、虫の声と競うように泣いている様子が、昔の物語のようにあわれに思われたのです。

    『咲きまじる色はいづれとわかねども
            なほ常夏にしくものぞなき

撫子はさしおいて、まず『塵だけでもすえまいと思う(塵をだに)』 と、親の機嫌を取ったのです。

    『うち払ふ袖も露けき常夏に
            あらし吹きそふ秋も来にけり

と、何でもないように言うだけで、心から恨んでいるような素振りも見せず、ふとこぼした涙も、悟られないようにまぎらせ隠して、辛い思いをしているのを私に知られるのも心苦しいと思っているような女でしたので、私もたいしたことではないのだろうと気安く考えて、またしばらく通わずにおりましたら、跡形もなく姿を消してしまったのです。
 まだ生きておりますなら、頼る者もなく心細い暮らしをしていることでしょう。 私が「可愛い」 と思っていた頃に、煩わしいと思うほどつきまとうような様子でも見せてくれていたら、こんなふうに行方知れずにさせるようなことはなかったでしょうに。 あんなに訪れが途絶えがちになることもなく、妻のひとりとして長く連れ添うこともできたでしょうに。 あの撫子が可愛くもありましたので、なんとしても探し出そうと思ったのですが、未だに消息も聞くことが出来ません。 これこそ先程の左馬の頭の話の頼りない女の良い例でしょう。 心の中では私のことを薄情な男と思って、辛い思いをしているのを露ほども知らず、私のほうも心の中ではずっと愛しいと思っていたのですが、それも何の役にもたたない片思いでした。
 今ようやく忘れかけているところですが、あの女のほうも忘れることが出来ないで、時には、自分のしたこととは言え、胸焦がすような思いをする夕べもあることでしょう。 こういう女が、長く連れ添えそうもない頼りない女なのでしょうね。
 ですから、左馬の頭の話の嫉妬深い女も、思い出となれば忘れ難いでしょうが、面と向かっているとうるさくて、悪くすると飽きてしまうこともあるでしょうね。 琴の才ある女も、浮気の罪は重いでしょう。 今話した常夏の女にしても、その頼りなさを浮気をしているのではないかと疑うこともありますから、どれが一番良いと決めることは出来ません。 これが世の中というもので、このようにあれこれと比べて見ても優劣をつけることは出来ませんね。 このいろいろな女の良いところだけを取り揃えて、非の打ちどころのない女など、どこにいるものですか。 もしいるとしたら吉祥天女でしょうから、これに思いをかけて妻にしたら、抹香臭く現実離れしておりましょうから、これはまた困ったものでしょうね」
と、おっしゃるので、またみな笑ってしまいました。
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