新釈・源氏物語

 
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帚 木 〈五〉
「ずっと昔のことで、私がまだ官位も低かった頃、いとしく思っている女がおりました。 先ほど申しましたように、顔かたちなどあまり美しくはありませんでしたので、若いうちの浮気心から、生涯の妻にしようなどとは思ってもおりませんでしたので、頼りになる女だとは思いながらも物足りなくて、あっちこっちの女のところへ通っておりましたら、ひどく嫉妬するのです。 それが気に入らなくて、こんなに嫉妬深くなく、もっとおっとりとしていれば良いのにと思いながら、あんまりひどく疑って妬くのが煩わしく、こんなつまらない男によく愛想も尽かさず、大切にしてくれるものだと、心苦しく思う時もありまして、自然に浮気も控えるようになっておりました。
 この女の有様は、もともと得意としていないことでも、なんとかこの男のためにと無理をしてでもやり遂げ、不得手としている方面の知識でも、見くびられまいと努力して、何かにつけて一生懸命に世話をやいて、ほんの少しでも男の意に添わないことのないようにと思っておりましたので、はじめは気の強い女だとは思っていましたが、だんだん私の意に従うようになり、穏やかにもなってまいりました。 自分の不器量な顔にも、夫から嫌われないだろうかと、無理矢理にも化粧をほどこし、知らない人に見られたら、夫が恥ずかしく思わないだろうかと、貞淑に振る舞っておりましたので、深く添いなじんできますと、性分も悪くない女だと思うようになってきたのですが、たったひとつ、この嫉妬という憎らしい癖は、いっこうに止まないのでした。
 その頃は、ただむやみに夫に従うばかりの女だと思い込んでおりましたので、どうにかして懲らしめてやれば、少しはこの癖も修まり口やかましさも止むだろうと思いまして、私が本当に嫌になって縁を切ってしまいたいという素振り見せれば、これほど私に従おうとする気持ちがあるなら懲り懲りするだろうと思い、わざと冷たく振る舞ってやりますと、女は例のごとく腹を立てて恨み言を申しますので、『これほど強情ではどんなに夫婦の縁が深くても、もう二度と逢いたくはない。 これっきり逢わなくとも良いと思うならそんな無茶な邪推をするがいい。 これから先も長く連れ添っていこうと思うなら、少しくらい辛いことがあっても我慢をして、心を穏やかにして欲しいものだ。 その嫉妬心だけでもなくしてくれるなら、どれほど可愛く思えることか。 私も人並みに出世して官位も高くなれば、あなたもまた他に肩を並べられる女などいなくなるのだから』などと、我ながら上手く言いくるめているものだと、調子に乗って言い立てておりますと、女は薄笑いを浮かべて、『何事にも見栄えのしない低い官位の間を我慢して過ごして、いづれ人並みに出世なさるのをお待ちするのなら、のんびりと待っているのも苦にはなりません。 ですがあなたの浮気な心を我慢して、いつかは思い直してくれるものと、当てにならない期待を持ち続けるのは、たいそう苦しく我慢できそうもありませんから、いっそこの機会にお別れしたほうが良いかもしれませんね』と、憎らしく申しますのが腹立たしくなりまして、憎まれ口を言い立てておりますと、女も黙ってはいられない性分で、私の指を一本引き寄せて、がぶりと食いつきましたので、 こちらも大袈裟に騒ぎ立て、『こんな傷までつけられては、宮中への出仕も出来なくなってしまった。 あなたに馬鹿にされた低い官位も、いよいよこれで人並みになれそうもない。 こうなってしまっては出家でもするより他はなさそうだ』などと脅し、『ではいよいよ今日限りお別れだね』と、痛む指を曲げたまま女の家を飛び出しました。

    『手を折りてあひ見しことを数ふれば
            これひとつやは君が憂きふし

恨み言もいえないだろう』と、言ってやりますと、さすがに女も泣き出して、

    『憂きふしを心ひとつに数へきて
            こや君が手を別るべきをり

などと言い争ってはおりましたが、本当に別れてしまうつもりなどなかったのです。 何日もさえ送らずに、浮かれ歩いておりますうちに、賀茂の臨時の祭の調楽の日となりました。 夜が更けてひどく霙の降る夜、誰も彼もが引き下がる時分に、さてといろいろ考えてみても、これと言ってわが家と思うような所もありませんでしたが、かと言ってそのまま宮中に宿直する気にもなれず、気取った女のところなどさぞ寒々しいことだろうと思われますので、こんな夜あの女はどうしているのか、その様子も見てやろうと退出し、雪をうち払いながら女の家を訪ねてみることにいたしました。 少し気恥ずかしくはありましたが、こんな夜にやって来くれば、日頃の恨みも解けるだろう思って行ってみますと、女の家では燈火を壁にそむけてほんのりと灯し、綿を入れてふっくらとした柔らかい着物を、大きな伏せ籠に掛けて暖めており、引き上げておくべき几帳などは打ち上げて、今夜こそはと待っている様子なのです。 それ見たことかと得意になって入って行きますと、肝心な女の姿は見えず、主立った女房たちだけが留守居をしておりまして、『今夜は親御様の家に行っております』と答えるばかりなのです。
 あれ以来、色っぽい歌のひとつも詠んでよこすでもなく、恨み言の文など送りつけるでもなく、黙って家に引き籠もっておりましたので、こちらも気が抜けてしまって、もしかしたらあれほど口うるさくしていたのは、わざと嫌われて私に愛想をつかせようとしていたのではないだろうかと、そんなことまで考えてもみたのですが、私の着物などいつにもまして色合いにも仕立てにも気を遣い、自分から見限った男の後々のことまでも心配して、心をこめて世話をしてくれていたのです。
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