新釈・源氏物語

 
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帚 木 〈四〉
 良い時も悪い時も連れ添って、その間にもさまざまな事が起こっても、その時々を乗り越えて共に過ごして来た仲であればこそ、夫婦の縁も情愛も深いというもので、多少の心配事があっても心が離れてしまうようなことはないでしょう。 また少しぐらいの男の浮気を恨んで顔色を変えて別れてしまうなどは、愚かなことです。 たとえ他の女に心が移ったとしても、出逢った頃の愛情を大切に思えばこそ、このような縁だったのだと思っているのに、そんな騒ぎを起こしてしまうと、縁が切れてしまうこともあるものです。
 万事穏やかに、男の浮気にも「知っていますよ」とそぶりに見せる程度にして、恨み言を言う時も男が不快にならないようにやわらかくほのめかしているなら、男のほうはそのことでもまた愛情が増すというものでしょう。 大抵の場合、男の浮気心は、妻の出方次第でおさまるものです。 そうかと言ってあまり干渉しないでむやみに放任しておくのも、男にとっては安心でかわいい女のように見えますが、そのために自然と女を軽ろんじてしまうこともあります。 岸につないでない舟(つながぬ舟)が風に漂うように、浮気心を起こしてもつまらないでしょう。 そうは思われませんか」
と言うと、頭の中将も同感して頷きます。
「さしあたって今、美しいともいとしいとも思っている男が、浮気をしている疑いがあるということは、女にとっては一大事でしょうね。 自分の心に過ちがなく、男の浮気も大目にみてやれば、そのうちに思い直して浮気もおさまるだろうと思っていても、そううまくはいかないものです。 とにかく、気に入らないと思うことがあったとしても、気にかけないようにして我慢をしているよりほかに、良い方法はないですね」
と言って、ご自分の妹の姫君(葵の上)が、この話にあてはまっていると思われるので、源氏の君が寝たふりをなさって何もおっしゃらないことが物足りなく、ご不満に思っていらっしゃいます。 左馬の頭は、この議論の博士となって、しゃべり続けています。 頭の中将は、この議論を最後まで聞き尽くそうと、熱心にお相手をしていらっしゃいます。
「世間のいろいろな事に比べて考えてみて下さい。 指物師がいろいろな物をを思いのままに作り出すにしても、その時限りの弄び物として後々に残らないような物は、傍からみてもしゃれていて、こんな風にも出来るものなのだと、その時々に応じて形を変えて作ってみたりすると、その目新しさに心を惹かれたりするものです。 しかし誰もが大切な物として、本当に立派な部屋の飾りとする調度品には、ちゃんとした決まり事があって、そういう物はやはり真の名人が作り出すものは、見るだけで違いがわかります。
 また宮中の絵所に、絵の名人は数多くおりますが、選ばれて下絵の墨書きをいたしますと、次々に見比べてもその優劣はわからないものです。 けれども、人が見たことがない蓬莱山や、荒海で暴れる魚の姿、唐の国の猛獣の形、目に見えない鬼の顔など、想像にまかせて大袈裟に描かれたものは、実際のものには似てもいないでしょうが、見る人はこんなものであろうと思うでしょう。 しかしながらどこにでもあるような山の様子や水の流れ、見慣れた住居などを、本物のように描いて、親しみのある穏やかな風景などを取り混ぜて、あまり険しくない山の姿などこんもりと世間から離れた風に、遠くに幾重にも描き連ね、近くのの内を描くには、その細部にも心づかいするなど、名人は筆の勢いもことさらで、下手な者にはとても及ばないことです。
 書を書いても同じ事で、ここもかしこも点を長く走り書きして、どことなく気取ったように見えるのは、ちょっと見にはいかにも才能がありそうに見えるものですが、本格的な筆法を学び丁寧な筆使いで書かれたものは、表面的には目立たなくても、もう一度並べてくらべて見ると、やはり本格的に書かれたもののほうが優れていることがわかります。
 ちょっとしたことでもこれほどの違いがわかるものです。 ましてや人の心は、その時々によって気取ってみたりする、目先のの情趣など、とても頼りになるものではありません。 その実例として、私の浮気な話をいたしましょう」
と側近くに寄ってまいりますと、源氏の君も目をお覚ましになりました。 頭の中将は、本気になって頬杖をつき、左馬の頭に向かいあって聞いていらっしゃいます。 法師が説法を聞かせている所のように見えて、ちょっと滑稽な気もいたしますが、このような時にはみなそれぞれ、睦言なども隠しきれずにお話になってしまうものなのでございます。
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