加冠の儀を終えられ、御休息所にお退がりになった源氏の君が、御装束を大人の袍に替えられ、御殿の東の庭に降りて、拝舞なさるお姿に、参列した誰もが皆、感涙に咽びました。 帝はもうお耐えになることがお出来になれず、涙に咽ばれました。 近頃は思い紛れて忘れていられることも多かった更衣のことも、今更のように思い出されてお悲しくお思いになるのでした。 こんなに幼い年頃で御髪上げしては見劣りするのではないかと、帝も参列の方々も皆ご心配なさいましたが、大人のお姿におなりになると、またそれは驚くほどの美しさを添えられていらっしゃるのでございました。
加冠の役を務めた左大臣には、皇女であられる北の方がお生みになった姫君(葵の上)がおひとりいらっしゃり、大切にお育てしていらっしゃいました。 春宮から御所望があった時にも、考えあぐねて躊躇なさっていられたのも、源氏の君に差し上げようというお考えがあってのことでした。 帝もそのお気持ちでいらっしゃり、「それならば、この元服の儀の後見をする者もいないので、添い伏しにでもしてみては」と促されましたので、左大臣もご決心なさったのでした。
源氏の君は再び御休息所に下がられ、参列の人々がお祝いの御神酒をいただいている頃に、親王方の御座の末席にお着きになりました。 側にひかえていた左大臣は、姫君の添い伏しのことなど、それとなくお話しなさるのですが、源氏の君はまだ物恥ずかしいお年頃でしたので、何ともお答えすることもお出来になれず、戸惑っていらっしゃいます。 帝の御前から、内侍がお言葉を伝えに参りました。 左大臣をお呼びになっていらっしゃるとのことで御前に参りますと、この日のねぎらいの品を、帝のお側仕えの命婦が取り次いで賜りました。 それはしきたり通りの白い大袿に御装束一揃いでした。 帝は左大臣に盃を賜るついでに、
「いときなき初元結ひに長き世を
契る心は結びこめつや」
添い伏しのことをそれとなく歌に詠まれ、念を押されるのでした。 左大臣は、
「結びつる心も深き元結ひに
濃き紫の色しあせずは」
とご返歌申し上げ、長橋から庭に降りて拝舞なさいました。 そしてさらに左馬寮の御馬に、蔵人所の鷹を鷹槊に据えて拝領なさったのでした。 御殿の階段の下に、親王方や公卿たちが並び、それぞれの位に応じて御祝いの品を賜りました。 その日の御前に供える折櫃物や籠物などは、:元服する者が用意するしきたりでしたので、右大弁が帝の仰せを承り、調理の指図をして差し上げたものでした。 屯食や、お祝いの品々を入れる唐櫃などもところ狭しと並べられ、春宮の御元服の時よりも数も多いほどで、それはそれは、この上もなくご立派な儀式でございました。
その夜、帝は左大臣の邸に源氏の君を御退出おさせになりました。 婚儀の作法は世にもめずらしいほど立派に執り行われました。 左大臣は、源氏の君がいかにも幼くていらっしゃるのを、たいそうお可愛らしくお思いになりました。 姫君はご自分のほうがほんの少し年上なだけですのに、源氏の君がずっとお若く見えるのが不似合いで恥ずかしく思われました。
左大臣は帝のご信任も厚い上に、北の方は帝と母后を同じくする妹宮でしたから、父方母方のどちらから見ても申し分のない華やかなご身分なのですが、その上源氏の君を婿君に迎えられますと、春宮の御祖父として、いずれ政治を執り行われるはずの右大臣の御権勢も、ものの数にも入らないほど圧倒されてしまったのでした。
左大臣には、大勢の若君たちがいらっしゃいます。 姫君と同じく、宮のお生みになった蔵人の少将というお方は、まだ若々しく美しい貴公子でしたので、左大臣とあまり仲の良くない右大臣も見過ごすことはお出来にならず、大切にお育てになった四の姫君に娶せられました。 左大臣に負けず劣らず婿君を大切になさり、申し分のない間柄なのでした。
源氏の君は、帝が常にお側にお召しになるので、ゆっくりと左大臣邸に里住まいすることもお出来になりません。 御心の中では、藤壺の宮のお姿を、比べる者もないほど優れた御方とお思いになり、「あのような御方をこそ娶りたいものだ。 あの御方に似ている者などひとりもいないほどお美しい。 左大臣の姫君は器量も良く大切に育てられた人ではあるけれど、何かしっくり馴染めない」とお思いになり、幼心の一途さのように、苦しいほどに思い悩まれていらっしゃいます。 大人になられてからは、以前のように御簾の中へも入れてはいただけません。 管弦の遊びの折々に、藤壺の宮の琴や笛の音を聞いて心を通わせ、かすかに漏れ聞こえてくる御声を慰めになさるだけでも、内裏でのお暮らしのほうが好ましく思われるのでした。 5、6日を宮中でお過ごしになり、左大臣邸に2、3日というように、とぎれとぎれにしかお出でにならないのですが、左大臣は今はまだ幼いお年頃なのだからと、咎め立てすることもなく、大切にお世話なさっていらっしゃいました。源氏の君にも姫君にも、世の中に並び立つ者もいないほど優れた人々を選り集めてお側に仕えさせていらっしゃいました。 お気に召すような管弦の遊びを催すなど、源氏の君の御心を惹きつけるようにと、ひたすらに心を砕いていらっしゃいました。
内裏では、母更衣の御殿であった淑景舎(桐壺)をお部屋として、更衣にお仕えしていた女房たちが離ればなれにならないように、そのまま仕えさせていらっしゃいます。 更衣のお里の邸は、修理職や内匠寮に帝の宣旨が下り、またとないほど立派に改造されたのです。 もともと木立や築山などの様子は風情のあるところでしたが、池などさらに広くして、邸も見事に造られました。 源氏の君は、「このような所に理想に適う御方をお迎えして、一緒に住むことが出来たら良いのに」と溜息をおつきになりながら思いつづけていらっしゃいました。
「光る君」という御名は、あの高麗人の相者が、源氏の君のお美しさを讃えてお付け申し上げたものだ、と言い伝えられておりますとか。
|
|